さて、いよいよイベント解説第二弾です!今回は3回に分けてお送りします。
前回までの解説で、正邪の大陸のデザイナーが、ルナをエルサレム神殿に見立ててデザインしたであろうことについて触れました。今回、この流れを汲んだ続編となる、昨年11月に行われたイベント、あるサインの解説に移る前に、ルナという街についてもう一度だけ触れておくことにしましょう。二つ前のエントリーでVitoさんも言及していますが、その当時ルナ(Luna)と呼ばれ、およそ10万人の人口を抱え、リグリア湾に面していた栄華を誇った海港都市は、今もルーニ(Luni)と呼ばれ、イタリアのジェノヴァから列車で1時間半ほどの片田舎にひっそりと存在しているのです。

ここには円形闘技場とローマ劇場跡が残されており、かろうじて当時の面影をしのぶことができます。もともとこの地にはリグリア人(liguri)という先住民族が住んでいたとされ、実態はほとんど解明されていないものの、港は比較的早くから機能していたようで、ギリシア人が通商のために寄港していたことがローマの文献からわかっています。ギリシア人はこの地を半月形の地形からか、「セレネ(Selene)の港」、すなわち「月の女神の港」と呼び、後にローマ人がその意を継承してルナ(Luna)と名づけたと言われています。

前177年にはローマ人がアウレリア街道(Via Aurelia)を北上して到達し、植民地を築きます。
※地図参照 急速に人口が増大したローマでは食糧不足が政治的問題となっており、ルーニはその解決のために農業生産の役割を担ったわけですが、ルーニの繁栄は実際には背後に広がるアプアーネ山脈からの大理石の採掘によってもたらされます。とりわけスタトゥアリオ(Statuario)と呼ばれる白い大理石は彫刻用として珍重され、後代のミケランジェロはこの地に長く滞在し、自ら石切り場に出向いて石材を運んだと伝えられています。
さらにルーニはローマからマルセイユまで伸びるアウレリア街道の通過点に位置する交通の要所でもありましたが、西ローマ帝国滅亡後の中世には、この街道こそテンプル騎士団の伝承でも知られる、エルサレムの聖地に向かう巡礼者のコースとしての役割を果たし、2000年にわたって使われ続けることになるのです。
ルーニ(Luni)はまさにルナであり、アウレリア街道はルナ神殿を最終地点とするアンブラ街道であり、白い大理石を産出するアプアーネ山脈はルナの背後に連なる雪原を内包して連なる山々であると思うのは穿ちすぎでしょうか。
前置きが長くなりました。
昨年11月に行われたイベント
あるサインは、アンブラ街道をまさにルナに向かって北上しようとしていたブリタニアの使者が、通過地点であるハンス・ホテル(Hanse’s Hostel)で遺体となって発見されるところから始まります。まずはEMサイトの告知文からご覧ください。
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王は慣れた手つきで赤い封蝋に素早くカオスの印璽(いんじ)を押しながら、部屋に入って来たばかりのサー・ジョフリーに用件を尋ねた。
「遺体で発見された使者の件ですが、ルナ騎士修道会総長殿より遺体と遺品の引き取り、および残る二名の使者のルナ捜索の許可が下りましてございます。」
王は頷き、先を促した。
「遺体の引き取りは明朝、精鋭のロイヤル・ガード数名がご遺族に付き添い、ルナへ向かう予定であります。ただ、少々気になる点がありまして……。」
サー・ジョフリーは王の注意を引きつけようと、ことさらに十分な間を置いて続けた。
「アイザック卿なる者のことなのです。」
王はやや神妙な面持ちをこちらに向けたようにも見えたが、思いのほか変化のない王の様子にサー・ジョフリーは小さな失望を隠そうともせず、あきらめたようにやや早口に先を続けた。
「亡くなった使者とアイザック卿に血縁関係はありません。しかし、どういうわけかこの者は許可なく我々に先んじてハンスホテルで遺品をあらため、そのままそこに宿を取っているとのことです。」
王は封蝋も真新しい書簡をひと息ついたばかりのサー・ジョフリーに差し出すと、立ち上がってドアに向かった。
「亡くなった使者にロイヤルガード指揮官の階級特進を。恩給の手続きもしなくてはならない。」
話をはぐらかされたまま、書簡を手に立ちつくすジョフリーの様子に気づくと、王は愉快そうな表情を浮かべて付け加えた。
「臣下の臣下は臣下にあらずだ。アイザック卿のことなら好きにさせておきなさい。彼も、亡くなった使者も、騎士なのだから。」
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この告知文にはイベントのサブ・テーマとも言うべき騎士の実際に関するヒントが隠されています。現代に伝えられる騎士道物語の多くはヒロイック・ファンタジーであり、騎士が冒険の道すがら出会った美しい貴婦人と住民達のために、強大な敵を倒して王に認められるといったものがその典型です。このため、騎士には無私の精神のもと、武勲を立て、忠節を尽くし、弱者を保護するといったイメージがありますが、実際はそうでもなく、荘園領主などの支配層はしばしば武器や鎧を独占し、略奪、破壊、虐殺行為を行い、騎士もこれに加担したと言われています。また、領主と騎士の主従関係も忠義的なものとは言い難く、王が諸侯に領地の保護を約束して忠誠を誓わせたように、諸侯も騎士に同様の契約を与えたに過ぎず、契約の不履行による短期間の関係解消も珍しくはなかったようです。さらに、「臣下の臣下」は「主君の主君」に対して主従関係を形成しなかったため、これがブラックソーン王の「臣下の臣下は臣下にあらず」という言葉に集約されています。いかにも国家よりも個を重んじるブラックソーン王らしい言葉ではありますが、これは"封建的無秩序"を生きる騎士への王の恩情でもあったわけです。
果たして騎士としての典拠に従い行動した結果、不幸にも事件に巻き込まれたと思しき若き騎士クリストファーの遺品には、騎士道の呪文書の他、毒の材料であるナイトシェード、すり鉢、空き瓶、そしてネクロマンシーの呪文書が含まれていました。アイザック卿が主張するように、ブリタニアの騎士の祖先がアンブラに追いやられたのであれば、彼らが所謂"ネクロパラディン"と呼ばれる二つの力の使い手になっていたとしても不思議なことではありません。また、毒物についても薬で栄えたメディチ家(メディシン=薬)に毒殺技術を伝えたのは他ならぬテンプル騎士団であったと言われており、毒は騎士にとってゆかりの深いものだったことがわかります。騎士は我々が思うより、一面では遥かに自由にして主体的な民であったのです。
事件の調査に当たったロイヤル・ガードのグレイスは、トリンシック首長Vitoとのやり取りの中で、検死に立ち会ったというルナのホーリーメイジの証言と、彼の奇妙な行動を明らかにします。
クリストファーの身体には打撲や傷など抵抗した痕跡は認められず、死因は自殺と思われること。
ルナ騎士修道会は毒物の件をおくびにも出さず、この事件を物盗りの仕業として、早々に片づけてしまおうとしていること。
もし、本当にルナ騎士修道会が自分たちを欺いているのなら、ホーリーメイジは自らの危険を顧みず真実を伝えてくれた可能性があること。
グレイスが彼の身を案じると、彼は指で"サイン"らしきものを作って消えてしまったこと……。
アイザック卿の行方もようとして知れず、多くの謎を残したまま、ロイヤル・ガードのグレイスと冒険者の一行は、アンブラのアルケミストを皮切りにクリストファーの足取りを追うことにします。そして、行く先々で再びあの"サイン"を目にすることになるのです。
次回に続きます。
(文責在記者)